心の拠り所ってなんだろう

       

心の拠り所って穏やかな毎日を過ごすための基盤になったりとか

やる気が湧いてくる源だったりとか

なくてもいいのかもしれないけど

あると強くなれるような

私は私でいいじゃないかと思えるような大きな要素だと思うんです。

 

それなのに私には

それが何なのか

はたまたそれはどこにあるのか

よく分からない時期というのがかなり長いことありました。

 

お仕事をお休みしていた約2年間

PTAの仕事やら魔女の修行やらで目まぐるしくて

あっという間に過ぎ去って行く時間の中で何度も考えていた

私の心の拠り所。

 

今回はそんな『心の拠り所とはなんだろう』というお話を書こうと思います。

 

あるはずだと思うのに見つからない拠り所

十数年前、鬱が悪化して会社員として働くことを諦めたあとの数年間

私はひたすら『自分探し』をしていました。

 

何かしたいことがあるような気がするのに、それが何かもわからなくて

何かしたいと思うのに何をしたらいいのかも分からなくて

そんな気持ちを持て余したままぐるぐると

何もない暗闇をひたすら歩いていたような。

 

人と自分の間には何か大きな違いがありそうだとは感じても

具体的に何が違うのかも

それに対してどうすればいいのかも分からない。

一体私は何者なんだと、本当の私は一体どこにいるんだと。

 

でもだからといって特に悲観的になっていた訳でもなくて

仕事を辞めてできた時間でひたすら自分を観察したことで

気付いたこともありました。

 

他の人はあまり気にならないことがとにかく気になってしまうということ。

気になったらそれをどうにかしないと気が済まずソワソワしてしまうこと。

納得する理由がみつかればすぐに落ち着けること。などなど。

 

気づきが増えることでその対処方法は増えていきましたが

絶対どこかにあるはずなんだと頑なに信じていた拠り所はどこなのか

ずっと分からないままでした。

 

 

コミュニケーションが苦手なのにコミュニケーションが必要な場所に自ら飛び込んでいった私

そしてこれは私自身も本当に不思議なのですが

今の仕事を一旦休憩して来年リニューアルしようと考えていたタイミングで

絶対に嫌だと思っていたはずのPTAに自ら飛び込むような形で

活動をすることになりました。

 

コミュニケーションが苦手で

知らず知らずに人を怒らせてしまったり傷つけてしまったりしてしまうような私が

絶対に避けたいと

できれば娘たちが小学校を卒業するまで逃げ切りたいと切に願ってたはずの場所に

なぜ私が飛び込んでしまったのか

あまりにも不可解で星のイタズラだとしかいいようがありませんし

現に1年の任期を終えた今は

もう2度とやるもんかという気持ちで私の心はいっぱいなのですが

今となってはこれも必然だったんだなとは思います。

 

飛び込んでしまったPTAの活動を通して

時間に追われながら活動を頑張ってる他のお母様方が大勢いらっしゃること

今までは見えてなかった先生方の努力とか苦悩とかを直接伺えたこと

 

そして私自身は

何か話すトピックが決まっていれば

饒舌に話せたりもするんだということにも気づいて

以前に比べて

学校=怖い

先生・保護者=怖い

というイメージがかなり軽減されたのは私にとって思いがけない大きな収穫でした。

…どれだけ私は怖かったのでしょうか。

 

また元々

必要な情報を集めてきてそれを整理して

全体を見ながら選別して形にして伝えるというのは

とても好きな作業で

 

引き継ぎがあるようで全く無いようなPTAの仕事をしていく上で

その繰り返しのまとめ作業が詰め込まれたようなPTAの業務は

意外なことにある意味楽しくもあり、落ち着く時間でもありました。

 

心の拠り所とはとても地味なものかもしれない

今思うと

心の拠り所というものに対して私は

人様に胸を張ってドーンと提示できるような何かすごいものというイメージが

あったような気がします。

 

これが私の心の拠り所なんです!!と

特別な技術とか特殊な能力(?)とか特別な環境とか

そういう確固たる後ろ盾があってこそできる『心の拠り所』。

私の中ではきっとキラキラと輝いてるように見える場所みたいに感じていたんですよね。

なぜだろう。

 

でも

心の拠り所ってある意味もっとずっと地味で

他の人からみたらびっくりされるくらい意味が分からなかったり

キラキラしてるなんてとんでもないくらいに静かで落ち着いてるような

そういうものでもきっと良くて。

 

そんな風に考えてたら

私の娘たち、家族の存在こそ、私の心の拠り所ではないかと

やっと気づけたり。

 

きっとこういったどこからきたのか分からないような思い込みも

特別な誰かになりたいと

親に誇れるような凄い人になりたいと欲する

私の心の中の小さな私の大きな声に翻弄されてる部分が大きかったんだと思ったり。

 

それにしてもなんで私の中では

心の拠り所がキラキラだと思ってたのか。

今になって沸々と、地味だっていいじゃないかと一人でプンプンしてみたり。

 

 

拠り所に居たとしても心が穏やかでいられないこともある

そうやって考えてみると

私の心の拠り所とは

私が私のままで居られる場所や

その場所で安心して

私が好きなものや興味を持つものをとことん調べてまとめて整理して

自分の知識の一部にしていく過程を楽しめる時間なんだと思いました。

 

ただ、それならばずっとあったじゃないかとも思ってしまう私は

ならどうして心や休まらない時期の方が長かったのかとも思う訳です。

 

『心の拠り所』

拠り所はただの場所や時間で

多分そこにいられたとしても

その時その時で状況は変わるものだし

状況次第では落ち着けないこともあってきっと当然なのかもしれません。

 

いつも静かな図書館も誰かが騒いでたら落ち着かないし

読みたいと思ってた本を満喫しててもその側で猫が大騒ぎして大切なものを壊してしまったら動揺するし

大好きな娘たちと過ごす時間も事と次第によってはイライラするし。

 

拠り所にいたら絶対に心が穏やかでいられるとか

そんな魔法みたいな場所を私はずっと求めて探していたんだと思うのですが

そんな場所なんてないんですよね。

 

少しずつ自分を知って

少しずつ対処法を知って

どうにか少しずつ上手く対応していけるようになるしかない。

 

それでもやっぱり

魔法みたいな場所があってくれたらと

今でも私は思うんですけどね。

 

いつでも戻ってこられるいつも支えになってくれる拠り所

自分が自分らしく居られる

心がざわざわしていたとしても

ただそこに居られるだけでだんだんと落ち着いてくる

地味だけど

私にとっては必要不可欠なそんな心の拠り所。

 

魔女の生活の中に溶け込んでいる占いも

歴史を勉強して整理して

情報をまとめて整理して

過去の叡智に想いを馳せながら

今この全体の繋がりを大切にしながら

形にして伝えていく

そんな作業で。

 

そしてそれは私がとても好きな

私が自然と私らしく居られる時間。

 

自然を大切に

自然と共に生きながら

そうやってコツコツと作業を進めていくことに魅力を感じて

魔女として生きるんだと誓ったのも

私にとってはまた必然だったんです。きっと。

 

心の拠り所を求めていた私の十数年間の結果が

『魔女として生きる』だったんだとも思います。

…こう書いてみると、なんだかとても壮大な感じになってしまって恐縮です。

 

『魔女として生きる』なんて突然誰かに言われた日には

多分心がザワザワソワソワする人の方が多いんじゃないかとは思うのですが

まぁそれはそれとして

私は私が求める私らしさをそのまま認めようと決めたことで

あぁそうか、いつでもここに戻ってくればいいんだと

自然と顔がほころんで、確かに安心する私が居るんです。

 

 

心の拠り所は十人十色

当然のことながら

心の拠り所がどこなのかは人それぞれで

人によってはいくつもあるのかもしれません。

 

見つからないようでいてずっと側に存在していたり

ないと思って探し回っていたのに実はすでにそこに居たり。

 

そういうことも往々にして

あるんだと思います。

 

自分の中にあるインナーチャイルドやシャドーに飲み込まれてると

心の拠り所なんてどこかに消えてしまったように感じられたりもしますが

それは多分どんな時でも

消えてしまったように感じる時でも

ちゃんと在るものなんだと思います。

 

私の心の拠り所。

 

時々迷子になる時もありますが

そんな私も認めながら

自分らしさを認めることを自分で自分に赦しながら

大事に過ごしたい。

 

そして周りの人の拠り所も

自分のと同じくらい大事にできたらいいなと思う

今日この頃でございます。

 

現在オープン中のセッション

LINE 公式アカウント

木の花ゆあんの公式LINEでは
木の花ゆあんからのお知らせや最新情報などが
ゆるっと不定期で届きます。
 
ご縁に感謝して
プレゼント企画も時々あります。
 
セッションのご予約やお手続きは
公式LINEより承っております。
 
▶︎ 木の花ゆあんの公式LINE
ID検索は、@konohana-yuan
 
ご質問やお問い合わせなどもこちらからお気軽にどうぞ